貝の中身

すごいいろんな話する

東京心覚雑感

普通にネタバレあるので注意!!

心覚めちゃくちゃ好きになってしまってディレイとかでも何周してもまとめられない莫大な「好き」という感情だけ抱えて立っている……。
感じたことだけさっと短く(ならなかった)。


演技の変化

初日と大千秋楽の配信を買ったんだけど、村雲江と五月雨江の演技の変化がすごくよかった。
正直どっちも実装してから日が浅くて私自身がキャラを掴み切れていなくてミュの解釈そのまま吸ってる。

村雲江は初日の「雨と雲と犬」から。
結構好戦的でダウナーよりはシニカルで、公式のイラストの無表情な感じよりは皮肉った笑みが多いかなという印象。
でも振りもパリっとした動きや緩急が強くてカッコよかった。
一転、千秋楽では公式のだるっとした雰囲気に近づきつつも動きのキレが残っていてこれはこれでいいって思った。
どっちも最高なのでもう一回初日も観せてほしい……。

五月雨江は雰囲気が変わったとかではないんだけど一つ、太田道灌と美しいものについて話すところで「わん!」って鳴いてしまったところの演技が印象に残った。
初日だと確か恥ずかしがっているけどどっちかっていうと気まずい?ような空気を感じた気がしたんだけど、千秋楽では道灌に釣られて襟巻で顔を隠しながらも照れ笑いしていたのが印象的だった。
なんていうか、五月雨江ってビジュアルから大人っぽい印象があるけど好きなもの・興味のあるものに対しては一直線なイメージがあるので、その照れ笑いする表情が妙にしっくり来た(特にそう、「景色はいかがでしょう」って聞く五月雨江の言葉は嫌味や揚げ足取りではなく単純な好奇心・探求心から来る、子供がなんで?なんで?って聞いてくる仕草によく似ていると思う)。

演技とは関係ないけど村雲江のほうが若干だけガタイがいいような感じがしたり殺陣が大振りだったり蹴りのガラが悪かったり等があって良かった。1

これも関係ないけど今回五月雨と村雲・桑名と豊前っていう組み合わせかな、と最初思ってた割に五月雨と豊前・村雲と桑名の会話が多くて面白い。
むしろ五月雨と村雲がしっかり会話した場所ってほとんど最後だけかな?
それでもお互いを想っているところが最後の会話の中で目線や言葉選びからも感じられるのが良い……。
目線で語るところめっちゃ多かったと思うので何回でも観たい。


作品自体の雰囲気

作品全体として

  • 存在
  • 想い
  • 線を引く(名前は線から出来ている)

などなどなど……はっきりとした言葉というよりはニュアンスで感じる事が多かったように思う。
私は幾原邦彦作品、というか輪るピングドラムが好きなので、そういった直接的に説明した言葉ではないところに魅力を感じた。
あとは道灌が詠んだ歌だったり天海が自分だけのものにした想いだったり、五月雨江が道灌に向けた歌だったり。
人なりの解釈が持てるところが、見る人によっていろんな感じ方があるそういう作品が好きだなって今更気づいた。

最後の水心子の一人語りもそう。
単純に受け止めたらまさに今の状況を語っているかのよう。
会場に行けなかった。
会場に見に行った。
全部選択だし、良し悪しもない。
けど作品的上でなぞったらあの少女に対してだったり、もしかしたら三日月の憐れみをはねのけた人かもしれないし、そもそも作品上で少女はどういう存在だったか……いくらでも解釈のしようがある。


この環境下だからこそ感じたも

清麻呂の「行きたい場所に行って、会いたい人に会って、おいしいものを食べる。それが出来なくなるだけでも歴史が変わったってことになる」
水心子の「笑顔になれることを増やせばいい!簡単な事ではないが、難しすぎることでもない」

それって""なんだよね。

この話はTwitterでも感想を読んでいてたくさんみかけたけどまさに今の状況だからこそ心に訴えかけるものがあったと思う。 感情高まりすぎてマジなんも書けなくなったのでこれでやめるんだけど、

「この光る棒で世の中明るく照らしていこうぜ~!!」

感情はこれに尽きる。


三日月宗近といういう「機能」・「呪い」について

これもTwitterでした話なんだけど、
敗者に寄り添いすぎるとお前も負けに引きずり込まれるぞ(うろおぼえ)」
って将門公が言ってたのを理解しつつも寄り添うことをやめられない、という性質が「機能」と呼ばれる所以なのかな、と思った。
癖、傾向、気質、頭ではわかっていてもそうしてしまうそういったものをまるめて「機能」って鶴丸は呼んだのかな~と思う。
で、これを大典太風に言うと「呪い」になるのであれば。
大典太は確か「強さ」を「呪い」と呼んでた気がするんだよね(ここもちょっと曖昧だけど)。
「強さ」も自分ではどうしようもないものかもしれない。
し、「強さ」を持っているからこそ他人に寄り添う、慈悲を与える、救おうとしてしまう、背負ってしまうのかもしれない。
そう思った。

背負ってしまうといえば豊前江もそうかもしれない。 「汚れ仕事ながら自分が」と言った五月雨江を静止して歌だけ歌っていてほしいと言った豊前江も、背負ってしまうほうの性質かもしれない。
正直パライソを観ていなくてなんとなくネタバレをさらっと読んだ限りなのでなんとも言えないけど……。


曲がサイコー

音楽は全然詳しくないんだけど、今回は全体的に高音の曲が多いのかな?と思った。
ガチ感覚的な話なので綺麗という月並みな表現しか出てこないんだけど

  • 大典太とソハヤの曲の「外の光をみた」で二人の音が重なるところ
  • 問わず語りの大典太ソロパートの「澄んだ暗闇」の音 が特に好き。

どっちも大典太だね。

ブログ出す為に編集してて気づいたんだけど「ETERNAL FLAME」の話もしかしてしてない!!!??
「ETERNAL FLAME」本気で好きなのであの曲が始まると泣いてしまう。
暗い話もつらいことも不安なことも多い世の中でこんなにも元気づけてくれる曲があっていいのか……。
本編で暗い顔が多かった水心子も楽しそうに全力で踊ってるし、千秋楽では五月雨江がニッコニコだったしみんな自由に、本当に全力で踊っているので見ているほうも楽しくなるのだ……。

配信から見ている光る波、とても綺麗だった。
誰にも消せないETERNAL FLAME


ぜんぶまとめて

決して明るいストーリーではなかったけど、やさしさってどういうことかって話かと思った。
救うことだけじゃなくて、どういうことが救いか。
覚えておいてくれ
忘れてくれ
見つけてくれ
隠してくれ
全部許容して、受け止めてくれるそういうやさしさ。

その上で、「残らなかったものは無かったことになるのか?」という問い。
忘れて、隠して誰かが覚えていなかったとしても、その想い・美しさ・響き・形のないものたちは決してなかったことにはならない。
誰かが知らない努力や実らなかったものも肯定してくれるやさしさがあった。

あとは「次に降る雨」も。
道灌と五月雨江が歌っているシーンで村雲江がどのように感じたのか読み取るまでは出来なかったんだけど、なにかしら寂しさ・疎外感のようなものを感じたのかなぁと勝手に思っている。
それに対する桑名の言葉は慰めでもなく、他愛のない会話や言葉遊びのようで、そこから始まる曲にぐっと掴まれた。

次に降る雨はその昔 焼き入れの時触れた水かもしれない

この歌詞が無限に好き。

あと「はなのうた」で刀剣男士は単に歴史を守るだけじゃなくて歴史を、人の営み(生死)を見守る存在なんだと思った。2

今までの各作に関連のある花びらが降る様はさながら時代の移り行きを感じた。
結界や線もそうだけど、視覚的演出が強い。

あとあと、これ本当に最後だし、てかこれも完全Twitterの再放送なんだけど、問わず語りの大典太の「澄んだ暗闇」について。
蔵に仕舞われていた事や、重々しい逸話がある彼に「澄んだ暗闇」という言葉を渡した上にあんなに綺麗な音を付けるのずるいんだよ!!
自分はあの歌から四季・景色の移り変わりを感じた。
はなのうたでは誰か人の生死と循環、問わず語りではその後ろで流れる世界、もっと大きいものって違いを感じてる。
はなのうたは特に3人の人間が代わる代わるに歌うことと、これまでの出会った人間・歴史になぞらえた花が散るからそう感じるのかもしれないけどね。


以上!!!
また美しい景色が観れますように!!


余談で、dアニに追加でようやく気になってた2019を観たんだけど、カテコで青江が桑名と松井が増えてもあんまりうれしそうじゃないように感じたのは水心子が言っていた「戦力が増えるのは良いことだけじゃない、それだけ戦いも大変になっている、だから青江は旅に出た」みたいな話につながるのかなって思った もしほんとに繋がってたらすごいなって思ったんだけどどうなんだろうか?


  1. 殺陣の話、どうしてももうちょっと書きたくなってしまった……。まさに「地に足つけての桑名江」って感じだと思った。堅実で力強い動き。当たり前なんだけど人物によって動きが全然違う。ゲームじゃ動きは見えないので刀ミュで感じられるたくさんのキャラクター性が好きなんだなと思った。

  2. 書いてて思ったけど清麻呂の「行きたいところに~」って話も結局それ人の営みじゃんと思った。些細な人の営みも歴史なんだ。